最近いくつか立て続けに歌モノ楽曲を作っていましたので、歌詞について考える時間が増えました。
昔から疑問だったのが、「詩」というものがある一方でなぜ「歌『詞』」というように違う漢字をあてるのか、ということです。よくよく考えれば、たまたま発音が同じだっただけでそこに関係性をみること自体がへんなのかもしれませんねぇ。英語では前者は「ポエム」で後者は「リリック」と全く違いますし。
漢字の意味から察するに、「詩」が文学的であるのに対し、「詞」の方はより、単なる音や言葉である、ということでしょうか。
歌詞にはそれを作る人の関係性によって3パターンあると思っています。
a:作曲家が作詞もする
b:作詞家が曲に詞をあてる
c:作曲家が詞に曲をあてる
おそらく確率的?には、「a」の場合がもっとも簡単に形になりやすいでしょう。その理由は以下のような感じです;
【1:作曲者はリズムやメロディーラインの統一性に敏感である】
例えば1番と2番が同じリズム・同じメロディーラインになっているかどうか、ですが、作者の立場にいると客観的に判断しづらいために不一致なのを見落としてしまったり、詞への思い入れが強いあまり「ま、いっか」となってしまいやすいように思います。賛否両論あると思いますが、個人的にはポップスであるのなら一致させるべきだと考えています。
あえて統一性がない、ということも考えられますが、その場合も作曲者はジャズ的なフェイクやソウル的な崩し方から、ラップ・語りの自由度にいたるまであらゆる音楽のニュアンスを理解した上で、その楽曲にとって音楽的に有り得る判断をすることができるかと思います。
【2:作曲者はより「韻」に敏感である】
作曲者とは別の人間が作詞した歌詞で一番気になるのがコレです。メロディーの区切りの部分の母音が合っているところと合っていないところがバラけていたり、別に韻を踏んでいなくていいところで踏んでいるのに踏んでいるべきところで踏んでいなかったり、メロディーの盛り上がるところで「イィィィ!」などの聴き辛い音があてられていたりなどです。
歌詞としての内容や言葉の意味まで考慮すると、韻をうまい具合に配置するのはなかなか難しいところなのですが、それを乗り越えてこその「作詞」だとも思います。
【3:作曲者はより言葉とメロディーラインの関係性に敏感である】
歌詞とはただ単にメロディーの音数に語数を合わせればいい、というわけではないですので、メロディー展開の意図がうまくリスナーに伝わるような言葉の当てはめ方を考えなくてはなりません。
もちろん逆手にとって、敢えて不自然なところで区切って注意をひく、ということもアリだと思いますが、その場合もその意味があるように仕掛けるのが大事だと思います。
【4:作曲者は自身の歌詞に合わせてメロディーラインを変更できる】
逆にいえば、作詞者が音楽的な許容範囲内でメロディーラインを変更してもいいと思います。その「音楽的な許容範囲」も価値観は人それぞれなので、作詞者の意図と作曲者の意図の兼ね合いが大事でしょうか。最終的に「いい楽曲を作る」という目的のため、大いに頭を悩ませるべきところかもしれません。
……と、これらの意見は完全に「作曲家視点」ですね。
「いい歌詞」という話をする時、ほとんどの場合は歌詞の内容をさしている、つまり「詩」としてとらえた上でのことだと思います。
今回は「作曲家が作詞もした方が形になりやすい」という話ですので、「作曲家の方がいい歌詞が書ける」という話ではありません。むしろ作曲家が書いた歌詞は、音を大事にするあまり、内容は希薄になってしまう可能性が高いでしょう。
また、こんどは実際の演奏のことを考えると、歌詞は歌う人が書くのが理想的だと思います。感情移入の度合いが違うでしょうから、パフォーマンスに差が出るはずです。
つまり;
作詞をするなら曲をよく理解した上で。
曲を尊重するあまり歌詞の内容がおろそかにならないように。
他者作詞の曲を演奏する場合にはよく歌詞を知っておく。
ということですかね。
結論として、歌詞を書く、ってのは大変なことだ、ってことです。
歌詞についてはまた別の機会にもお話したいと思います。
木曜a.k.a.まえのめり@48kHz